2009-11-10

「対等な日米関係」を求めるなら

「恫喝と従属 鳩山政権は試合放棄か」(松元剛、「リレーコラム・沖縄という窓/雑誌「世界」12月号)を読んだ。

(引用開始)

「ファウルで粘って何とかする」と公言していた先頭打者は「かすりもしない」と怖じ気づき、打席を外してバットを置いてしまった。ベンチの監督は「気持はよく分かる」と理解を示しながら、「(試合放棄するか、戦い続けるかどうか)最後は俺が判断する」と呟くしかなかった。相手ベンチは「胸元をちょっと厳しく突いただけなのに。奴らはまだまだ格下さ」とほくそ笑んでいる―。10月20日から21日にかけて来日したゲーツ米国防長官と向き合った日本政府の対応を野球の試合に置き換えるとこんなところだろうか。(略)
まず及第点よりも高い要求水準を突き付け、脅しとはったり、妥協を織り交ぜながら米側ペースに引きずり込み、最終的な妥協案を示して及第点以上の実を取る―。(略)

(引用終了)

「恫喝外交」と「従属外交」はことの表裏だ。

「恫喝」によって目標水準を上げておいて、落としどころは自分の本当の目標を確保するという米国流「ディベイト」戦術に完全にやられそうな鳩山政権だ。寄って立つ基盤がしっかりしていないからこんなことになる。

米軍基地は日本の防衛にとって何のメリットもない。メリットがないどころか、沖縄を見れば明らかなように、デメリットばかりだ。日本の防衛に役立っているというのは現実ではない。第一義的に日本の防衛に当たるのは自衛隊だ。米軍ではない。

敗戦のトラウマからそろそろ脱却してもいいのではないか。冷戦も終了して20年が経過した。

米軍に対する「幻想」から目覚めるべきだろう。日本国内から米軍基地を一掃するという目標を掲げる時期に来ていると思う。まずは世界に例のない恥さらしないわゆる「思いやり予算」を順次減額していくのがいいだろう。この「思いより予算」こそ、米国が日本国に基地を置く最大の理由だ。そのメリットがなくなれば自ずと日本に基地を置く理由もなくなる。「米軍にいて頂いている」などという馬鹿げた考えを捨てるべきだ。日本の米軍基地は、米国にとってこそメリットがあるのであって、日本にあるのではない。日本国の防衛にとっても米軍の存在はかえって危険を増大させるだけで、メリットは何もない。自衛隊の米軍の下請け組織化も度し難い愚行である。

オバマ大統領には、将来的な米軍の日本国内からの完全撤去をまず提起すべきだ。話はそこから始まる。真に「対等な日米関係」を求めるなら、「日米安保体制」そのものを「見直し」するしか方法はない。