「人は知らないものを深く愛することが出来る、しかし、愛さないものを深く知ることは出来ない」 (from "A Handboolk of Aphorisms" by Simon May)
2009-12-20
2009-12-06
2009-12-03
Hasta Siempre ゲバラ賛歌
Hasta Siempre
Hasta Siempre composer:Carlos Puebla
Hasta Siempre composer:Carlos Puebla
Aprendimos a quererte 私たちはあなたを愛することを学んだ
Desde la histórica altura 歴史的な高みから
Donde el sol de tu bravura そこではあなたの勇敢さという日差しが
Le puso cerco a la muerte 死を包囲した
[Estribillo] 繰り返し
Aquí se queda la clara ここでは明らかになっている
La entrañable transparencia あなたの存在の
De tu querida presencia 親愛なる透明性が
Comandante Che Guevara チェ・ゲバラ司令官
Tu mano gloriosa y fuerte 栄光に満ちた強いあなたの手が
Sobre la historia dispara 歴史上で火を吹く
Cuando todo Santa Clara サンタ・クララの街全体が
Se despierta para verte. 目を覚ましてあなたに会うときに
[Estribillo] 繰り返し
Vienes quemando la brisa 風を燃やしながらあなたは来ている
Con soles de primavera 春の日差しとともに
Para plantar la bandera 旗を立てるために
Con la luz de tu sonrisa あなたの微笑みの光とともに
[Estribillo] 繰り返し
Tu amor revolucionario あなたの革命への愛が
Te conduce a nueva empresa 新しい試みへとあなたを導く
Donde esperan la firmeza そこでは自由を目指すあなたの腕の
De tu brazo libertario 力強さが待ち望まれている
[Estribillo] 繰り返し
Seguiremos adelante 私たちは前に進み続ける
Como junto a ti seguimos これまであなたと一緒に進んできたように
Y con Fidel te decimos そしてフィデルとともに私たちは言う
Hasta siempre Comandante ごきげんよう、司令官
[Estribillo] 繰り返し
Desde la histórica altura 歴史的な高みから
Donde el sol de tu bravura そこではあなたの勇敢さという日差しが
Le puso cerco a la muerte 死を包囲した
[Estribillo] 繰り返し
Aquí se queda la clara ここでは明らかになっている
La entrañable transparencia あなたの存在の
De tu querida presencia 親愛なる透明性が
Comandante Che Guevara チェ・ゲバラ司令官
Tu mano gloriosa y fuerte 栄光に満ちた強いあなたの手が
Sobre la historia dispara 歴史上で火を吹く
Cuando todo Santa Clara サンタ・クララの街全体が
Se despierta para verte. 目を覚ましてあなたに会うときに
[Estribillo] 繰り返し
Vienes quemando la brisa 風を燃やしながらあなたは来ている
Con soles de primavera 春の日差しとともに
Para plantar la bandera 旗を立てるために
Con la luz de tu sonrisa あなたの微笑みの光とともに
[Estribillo] 繰り返し
Tu amor revolucionario あなたの革命への愛が
Te conduce a nueva empresa 新しい試みへとあなたを導く
Donde esperan la firmeza そこでは自由を目指すあなたの腕の
De tu brazo libertario 力強さが待ち望まれている
[Estribillo] 繰り返し
Seguiremos adelante 私たちは前に進み続ける
Como junto a ti seguimos これまであなたと一緒に進んできたように
Y con Fidel te decimos そしてフィデルとともに私たちは言う
Hasta siempre Comandante ごきげんよう、司令官
[Estribillo] 繰り返し
【歌詞:ウィキペディア(Wikipedia)より】
2009-12-02
密約証言に思うこと
「過去の歴史を歪曲(わいきょく)するのは、国民のためにならない」。1日、沖縄返還の日米交渉を巡る密約の存在を初めて法廷の場で明言した元外務省アメリカ局長、吉野文六さん(91)は、これまでの国の姿勢を批判した。72年には、密約を報道し国家公務員法違反に問われた西山太吉・元毎日新聞記者(78)の刑事裁判で検察側証人として密約を否定した。それから37年。今度は民事訴訟で西山さん側の証人として出廷し、声を詰まらせながら再会を喜びあった。(略)西山さんの訴訟に出廷した理由について、「返還交渉の実情をなるべく真相に近い形で伝えたいと思った。最近、過去の真実を追究した報道や歴史家の努力はいいこと。それを続けることが日本の将来のため有益になると信じるようになった」と述べた。一方、西山さんは、別に記者会見し「法廷という厳正な場所でかつて偽証した本人が、『偽証しない』と宣誓して証言したのは、相当な覚悟がいることだったと思う。(密約文書への)サインを認め、局長室で交わしたことを認めただけで十分だと思う」と、感激した様子だった。(毎日新聞)
日本という国は、歴史に真正面から向き合う姿勢がなかった。その典型が戦争責任を自分の力で追及してこなかったことだろう。敗戦の前後、霞ヶ関や軍事施設などでは公文書を焼く煙が立ったという。証拠隠滅だ。それがその後の政治に大きく影響したことは言うまでもない。それが変ったという明瞭な兆候はないから今もないのだろう。だから「公文書」を完全に保管しておくという思想もない。米国のように機密事項であっても一定の期間が経過したら公開するという制度もない。
政治家や官僚の無責任性もそこから出てくるのだろう。特にその官僚が戦後一貫して「政治」をしてきたのだからたまったものではない。歴史に正対しないものは、未来を誤る。政権交代によって「情報公開」という面でもようやく光が見えてきたかなということだろう。
「情報公開」は権力をチェックするという意味を持つが、しかしそれ以外にもありとあらゆる手段でこれを実行しないといけない。日本という国は「権力のチェック」が甘い。国民に「お上意識」が残存しているからであろう。この思想の脆弱さをなんとかしないことには民主主義も絵に描いた餅である。今回の「事業仕分け」はその第一歩だった。特に司法官僚機構はまったく手付かずだ。「取調過程の完全可視化」はどうなったのか?千葉法相は何をしているのか?肝は「官僚に政治をさせない」ということに尽きる。特捜などに「政治」をさせてはならない。
ann salley 3時の子守唄
日本という国は、歴史に真正面から向き合う姿勢がなかった。その典型が戦争責任を自分の力で追及してこなかったことだろう。敗戦の前後、霞ヶ関や軍事施設などでは公文書を焼く煙が立ったという。証拠隠滅だ。それがその後の政治に大きく影響したことは言うまでもない。それが変ったという明瞭な兆候はないから今もないのだろう。だから「公文書」を完全に保管しておくという思想もない。米国のように機密事項であっても一定の期間が経過したら公開するという制度もない。
政治家や官僚の無責任性もそこから出てくるのだろう。特にその官僚が戦後一貫して「政治」をしてきたのだからたまったものではない。歴史に正対しないものは、未来を誤る。政権交代によって「情報公開」という面でもようやく光が見えてきたかなということだろう。
「情報公開」は権力をチェックするという意味を持つが、しかしそれ以外にもありとあらゆる手段でこれを実行しないといけない。日本という国は「権力のチェック」が甘い。国民に「お上意識」が残存しているからであろう。この思想の脆弱さをなんとかしないことには民主主義も絵に描いた餅である。今回の「事業仕分け」はその第一歩だった。特に司法官僚機構はまったく手付かずだ。「取調過程の完全可視化」はどうなったのか?千葉法相は何をしているのか?肝は「官僚に政治をさせない」ということに尽きる。特捜などに「政治」をさせてはならない。
ann salley 3時の子守唄
2009-11-28
つぶやき by Nyahsu5656 Thu, Nov 26
- 09:49 New Blog Post: かいじゅうたちのいるところWhere The Wild Things Are - 私のお気に入り絵本「かいじゅうたちのいるところWhere The Wild Things Are」( http://ow.ly/164o8d
- 16:40 名前を変えるよりは顔を変える方が先 http://ow.ly/FMNG 冗談か、はたまた本気か? 落ちるとこまで落ちないと分からんらしい。自己反省のひとつもようできんようだ。政党としての「役割」が完全に終わっとるわ(冷笑)。
- 17:37 自滅党の再生? んなもん無理でしょう。歴史的役割を完全に終了しつつある。政権交代が「終わりの終わり」へと駒を進めた。来年の参議院選挙で「終わり」のゴングが鳴るであろう。その後は・・・。 http://ow.ly/FN9U http://ow.ly/FNpF
Madredeus: Ainda
2009-11-25
かいじゅうたちのいるところWhere The Wild Things Are
私のお気に入り絵本「かいじゅうたちのいるところWhere The Wild Things Are」(モーリス・センダックMaurice Sendak著、 じんぐう てるお翻訳、冨山房)がなんとほんとの「着ぐるみかいじゅう映画」になった。慶賀に堪えない。わくわくものである。FaceBookでもうすでに190万人近いFanが記録されている。まだ観てないので予告編をご紹介するしかないのが残念。
2009-11-19
つぶやき by nyahsu5656 Tue, Nov 17
- 10:18 天下り、非公表の「嘱託」扱いで高給雇用/厚労省3法人 http://ow.ly/CUCZ 役人という種族は、まぁ、あの手この手で「天下り先」を「創造」するものである。その能力たるや驚くべき代物だ。 #shiwake1 #shiwake2 #shiwake3
- 10:25 需要なき公共事業・504億円事業の使用率は0.2% http://ow.ly/CUHw ここまでくると唖然。当事者はおそらく大真面目に「仕事」をしていると思っているのだろう。それを想像するだけで可笑しさではらわたが捩れそうだ。しかし・・・ #shiwake1 #shiwake2 #shiwake3
ENYA - a day without rain
2009-11-06
映画は「シナリオ」だ。
映画は「シナリオ」だ。「シナリオ」が良くてもダメな映画はいくらでもある。しかし、できの悪い「シナリオ」でできの良い映画ができた例はまずない。
ピエトロ・ジェルミ監督・主演「刑事」(1959年、イタリア)はそのことを教えてくれる格好の映画だ。まずは「シナリオ」を褒めねばならない。殺人事件の捜査の過程に美しい面も醜悪な面も含めてさまざまな人間模様が明らかにされていく。それが収斂し事件は解決するかに見えた。ところがそこに思わぬどんでん返しが待っている。シナリオの勝利だ。ムダな場面が一つもない。
最初、観客も無責任な野次馬の一人だ。次第に事件の真相を追う刑事たちに感情移入していく。そこには刑事が暴いていく偽善的な人間たちの赤裸々な姿がある。正義感が観るものを怒りに駆り立てる。その感情が頂点に達したとき、観客は思わぬ袋小路に直面し、感情のやり場に困ることになる。振り出しに戻ってしまうのだ。やり場のない鬱屈した感情。しかし、その感情は一気に捌け口を見出すことになる。そして今までの自分たちの感情にある種の後ろめたさを感じなければならない。犯人であるべき人間が実は犯人ではなく、犯人であってはならない人間が実は犯人であったという苦い感情が湧く。その後ろめたさが社会の不条理に対するやるせなさと一組の男女への同情となって開放されることになる。
ピエトロ・ジェルミ監督・主演「刑事」(1959年、イタリア)はそのことを教えてくれる格好の映画だ。まずは「シナリオ」を褒めねばならない。殺人事件の捜査の過程に美しい面も醜悪な面も含めてさまざまな人間模様が明らかにされていく。それが収斂し事件は解決するかに見えた。ところがそこに思わぬどんでん返しが待っている。シナリオの勝利だ。ムダな場面が一つもない。
最初、観客も無責任な野次馬の一人だ。次第に事件の真相を追う刑事たちに感情移入していく。そこには刑事が暴いていく偽善的な人間たちの赤裸々な姿がある。正義感が観るものを怒りに駆り立てる。その感情が頂点に達したとき、観客は思わぬ袋小路に直面し、感情のやり場に困ることになる。振り出しに戻ってしまうのだ。やり場のない鬱屈した感情。しかし、その感情は一気に捌け口を見出すことになる。そして今までの自分たちの感情にある種の後ろめたさを感じなければならない。犯人であるべき人間が実は犯人ではなく、犯人であってはならない人間が実は犯人であったという苦い感情が湧く。その後ろめたさが社会の不条理に対するやるせなさと一組の男女への同情となって開放されることになる。
シナリオのできも素晴らしいが、それにも増して演出のテンポが頗る軽快である。監督のピエトロ・ジェルミが主演の刑事役を演じる。この刑事のてきぱきとことを処理していく手際そのものが映画のテンポとシンクロしているのである。
それから何と言っても、ピエトロ・ジェルミの演技だ。飄々としていながら部下に的確に指示をだし、猛烈に厳しい態度をとりながらも人への思いやりを感じさせる。正義感に貫かれた行動が身上。それでいて滑稽味もあるという複雑な役どころだが、ジェルミの人格があっての深みのある魅力的な人物象となった。
最後のシーン。「アモーレ・アモーレ・アモーレ・アモレミオ~」(「死ぬほど愛してSinno' me moro」作曲:カルロ・ルスティケッリ)の哀切な主題歌とともに、クラウディア・カルディナーレの姿が目に焼きつく。
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