2010-11-03

近江八景

桂米朝師の「米朝ばなし」を読みながらそこに登場する落語をひとつひとつ聴いていくのが楽しい。


「近江八景」。「人を騙します」と看板を掲げて商売している女郎に入れあげてるアホな男が八卦見に占ってもらうといういたってばかばかしい噺。しかし、そんな噺でも、そこは上方、粋なのは落ちに「近江八景」を読み込むところ。


近江八景とは、①石山秋月[いしやまのしゅうげつ]-石山寺、②勢多(瀬田)夕照[せたのせきしょう]-瀬田の唐橋、③粟津晴嵐[あわづのせいらん]-粟津原、④矢橋帰帆[やばせのきはん]-矢橋、⑤三井晩鐘[みいのばんしょう]-三井寺(園城寺)、⑥唐崎夜雨[からさきのやう]-唐崎神社、⑦堅田落雁[かたたのらくがん]-浮御堂、⑧比良暮雪[ひらのぼせつ]-比良山系。


八卦見がアホな男にあんたは騙されてと言うと、男は怒って女からの手紙を出して見せる。これが近江八景を読み込んだ立派過ぎる手紙(お客皆に配る宣伝ビラですな!)。


『恋しき君の面影を、しばしが程は見い(三井)もせで、文の矢ばせ(橋)の通い路や、心かただ(堅田)の雁(かり)ならで、我れからさき(唐崎)に夜の雨、濡れて乾かぬ比良の雪、瀬田の夕べと打ち解けて、堅き心はいしやま(石山)の、月も隠るる恋の闇、会わず(粟津)に暮らす我が思い、不憫と察しあるならば、また来る春に近江路や、八つの景色に戯れて、書き送りまいらせそろ、かしく」』


それを見て八卦見が、『なるほど、この文を表で判断すれば、最初、さきの女が比良の暮雪ほど白粉(おしろい)を塗り立てたのを、お前が一目みい(三井)寺より、我が持ち物にせんものと、心矢ばせ(橋)に早って唐崎の夜の雨と濡れかかっても、さきの女は石山のあき(秋)の月じゃゆえ、文の便りも片便り(堅田)。それにお前の気がソワソワと浮御堂。この女も根が道楽(落)雁の強い女じゃゆえ、とても世帯(瀬田)は持ちかねる。こりゃいっそ会わず(粟津)の晴嵐としなさい。』、男『あぁさよか、おおきありがとぉ。どぉも、さいなら』、八卦見『こりゃこりゃ、見料を置いていかんか。』、男『アホらしぃ。近江八景に膳所(ぜぜ=銭)は要りまへんのじゃ。』

昔の人は「教養」がありましたな。それにしても、よくある噺として、アホな男に自分の姿を見て共感しながらも、そんな自分を「アホ」な奴と笑い飛ばす、しかも、そんな男に「世間の常識」で意見する「野暮」な「教養人」である八卦見を、「客を怒らせる商売の下手な野郎だ!」と、あっさり蹴散らすアホな男に共感を寄せ、結局最後は、したり顔の「教養」や「世間の常識」よりも、そのアホな男に軍配を挙げてしまう「落語」を演じさせて、それに拍手喝采する観客とは、いやはや、まったくもって「大人」ですなぁ、と感心する。


歌川広重「近江八景」


石山秋月



勢多(瀬田)夕照



粟津晴嵐



矢橋帰帆



三井晩鐘



唐崎夜雨



堅田落雁



比良暮雪
構図と色彩の感覚、美学の完成度は恐るべし。