2010-04-13

為政者の冷酷さ

「東京だョおっ母さん」の2番の歌詞、「やさしかった兄さんが、田舎の話を聞きたいと、桜の下でさぞかし待つだろう、おっ母さん、あれが、あれが九段坂、逢ったら泣くでしょ、兄さんも」とは、その当時、まだ戦争の傷が癒えいなかったことが伺われるけど、右翼がこの歌を顕彰する理由も故無しとしない。1番が皇居、2番が靖国神社、3番が浅草の観音様だもんなぁ。2番を歌わなかったといって右翼爺さんがNHKを潰せと吠えていた。

以前、「トラ・トラ・トラ」での黒澤監督解任問題の本「黒澤明vs.ハリウッド」を読んだ関係で、「海ゆかば」を繰り返し聴いた。今度「東京だョおっ母さん」をこれでもか、と繰り返し聴いた。「歌」が感情にフックするその強さをあらためて感じた。その点に関していいえば「海ゆかば」なんざぁ、傑作だね。それ故に、逆に、吐き気がしてくるって人がいてもおかしくない。要するに、理屈抜きで感情に作用するわけだ。単純な右翼が自己陶酔する所以だ。狡猾な為政者は、しかし、それを利用する。怖いですねぇ。因みに、実は「海ゆかば」には二つある。一つは、明治時代に東儀季芳が作曲した雅楽の曲、二つは、右翼の街宣車ががなっている昭和時代になって信時潔が作曲したやつ。前者は今でも自衛隊が使っているらしいが一般人が聴くのはまれ。



「狡猾な為政者は、しかし、それを利用する。」で思い出した。「In the Shadow of the Moon(2007)」というドキュメンタリ映画がある。人類が月に到達したその経過を実際の飛行士のインタビューと当時の映像を織り交ぜて描いた作品。その中で、驚愕すべき、というか当然かもしれないが、アポロ11号の面々が月に到達し、しかし、その月からの帰還に失敗したという想定のもとに、当時のニクソン大統領が国民向けに放送するメッセージを実際に作っていたという事実だ。「彼らは、月に永遠に眠っている」とかなんとか、実写フィルムが映し出される。冷酷なものだなぁ、権力者というものは。聞くところによると、自衛隊がイラクに派遣されたとき、戦死者が出ることを想定し、公式に弔う儀式の予行練習が秘密裏に行われたということだ。

東京だョおっ母さん

島倉千代子で思い出されるのが、伊丹十三監督のビュー作、傑作映画「お葬式」の一場面。父親、真吉の通夜の夜、通夜の喧騒が去って初めてしみじみと肉親の死に対面する大事なシーン。娘の千鶴子(宮本信子)が母親(菅井きん)と従兄弟の茂(尾藤イサオ)とが島倉千代子の「東京だョおっ母さん」を歌う。1957年発売。島倉千代子、19歳!因みに、デビューが17歳。発売当時の音源で聴いている。高度経済成長以前、まだ戦争の記憶が残っていた時代。

茂:お疲れさま
3人が杯で酒を飲む。
茂:ほんとに伯父ちゃんちゅうのは自分のことしか考えやせんでね。わしゃ、顔も見とうないわ。金は持っとるけど、ひとの気持ちの分からん人だでねぇ。わしゃあ、大っ嫌いじゃ。あんたの父ちゃんもあの伯父さん嫌いだった。んなもんだで、この5,6年は全然三河にも寄り付かんかったでしょう・・・ほいじゃあ、真吉っつぁんの顔でも見せてもらおうかな
茂、棺の蓋をあけて、真吉の死に顔を見る
茂:真吉っつぁん
と、茂、啜り泣く。ここで初めて千鶴子と母親、泣く
茂:ほんなら、寝よか
千鶴子:ゴロ寝でいいわね
茂:ああ、なんでもええ、ええ
千鶴子:でも、もう一杯飲もうか。なんかしんみりしちゃったじゃないの。こいうの父さん嫌いよ
母親:通夜は賑やかにやってくれと言っとったでね
千鶴子:歌でも歌いましょうよ。お父さんが好きだった歌
茂:島倉千代子!
千鶴子:そう、東京だョおっ母さん
茂:あれは千鶴ちゃん、旅行会で宮津へ行ったとき、お父さんが半日がかりで芸者から習っとたがや
千鶴子:お母さん、歌おう
(歌う)久しぶりに手を引いて 親子で歩けるうれしさに
小さいころが浮かんできますよ おっかさん
ここが ここが 二重橋 記念の写真を撮りましようね
千鶴子:おっ母さん、あれが二重橋よ。ちゃらら、ちゃらら、うちゃちゃちゃ、ちゃらら、ちゃらら、うんちゃちゃちゃ



カメラが、二階から一階へ移動。スタンドの光の中に、侘助(山崎努)の姿がある。
侘助:女房たちが歌っている頃、私はまだ起きていた。まだVTRで明日の挨拶の研究に余念がなかったのである



東京だョおっ母さん
作詞 野村俊夫
作曲 船村徹

久しぶりに手を引いて 親子で歩けるうれしさに
小さい頃が浮かんで来ますよ おっ母さん
ここが ここが 二重橋 記念の写真をとりましようね

やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと
桜の下でさぞかし待つだろう おっ母さん
あれが あれが九段坂 逢ったら泣くでしょ兄さんも

さあさ着いた着きました 達者で永生きするように
お参りしましよう 観音様ですおっ母さん
ここが ここが浅草よ お祭りみたいに賑やかね


すみだ川 東海林太郎

「戦後、東海林太郎の大ファンで何度もかじりつくように歌も台詞もすべて覚えたという島倉千代子の手でリバイバル。昭和42年に東海林との共唱、それからさらに精進を重ね、昭和44年に満を持して単独での歌唱でレコード化。以後、老境に差し掛かっている現在まで、島倉の欠かせぬレパートリーの1曲となり、後年声が出なくなり失意のどん底にあった中でも問題なく披露できた数少ない歌がこの歌だったとも聞いています。」
なんて話を聞くと、思わず涙を禁じえない。島倉千代子、本名同じ、1938年(昭和13年)3月30日東京・北品川生まれ。72歳。
今、昭和46年7月22日放送「なつかしの歌声」で東海林太郎(当時73歳)と島倉千代子(当時33歳)がフルバージョンでデュエットしている動画を見ている。東海林太郎の若いこと!感無量。




田中絹代が台詞をやっている。

荷風さんに逢う

永井荷風の小説「すみだ川」に題材をとった同名の「すみだ川」という歌がある。もともとは、昭和十二年(1937)に、ポリドールのドル箱歌手だった東海林太郎の専属3周年を記念して作られたものだった。島倉千代子が歌うこの「すみだ川」が何といっても絶品。YouTubeには何本か違うバージョンがアップされてんだけど、昭和62年8月28日に放送された「にっぽんの歌」でのさらっとした歌唱は非の打ち所が無い。まさに珠玉の逸品。残念なのは、フルバージョンじゃなく、時間の関係か、3番が欠けていること。



すみだ川
作詞 佐藤惣之助
作曲 山田栄一
歌手 東海林太郎
台詞 田中絹代

銀杏がえしに黒襦子かけて
泣いて別れたすみだ川
思い出します観音さまの
秋の日ぐれの鐘の声

(せりふ)
あヽそてうだったわね
あなたが二十歳わたしが十七の時よ
いつも清元のお稽古から帰って来るとあなたは竹谷の渡し場で待っていてくれたわね
そして二人の姿が水にうつるのを眺めながらニッコリ笑って淋しく別れた
本当にはかない恋だったわね

娘心の仲見世歩く
春を待つ夜の歳の市
更けりゃ泣けます今戸の空に
幼馴染のお月様

(せりふ)
あれからあたしが芸者に出たものだからあなたは逢ってくれないし
いつも観音様へお詣りする度に廻り道して
なつかしい墨田のほとりを歩きながら一人で泣いていたの
でももう泣きますまい
恋しい恋しいと思っていた初恋のあなたに逢えたんですもの
今年はきっときっと嬉しい春を迎えますわ

都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ
むかしこいしい水の面
逢えば溶けます涙の胸に
河岸の柳も春の雪

因みに、フルヴァージョン。

2010-04-01

記者会見の開放度

おそらく、「カスゴミ」は全く報道しないでしょうから、遅れ馳せながら、ご参考までに掲載します。 実態と違うという意見もあるようですが。

【原口大臣は行政機関の記者会見について開放度をA~Dの4段階で発表しました(10.3.30)】

Aランク(完全解放):
内閣官房(首相)、内閣府(経済財政担当相、科学技術担当相、消費者担当相、国家戦略相、行政刷新相、地域主権推進担当相)、金融庁(同庁主催会見)、公正取引委員会、消費者庁、総務省、法務省(本省)、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省(都道府県労働局の一部)、農林水産省、経済産業省、環境省

Bランク:
内閣府(沖縄・北方担当相)、金融庁(記者クラブ主催会見)、厚労省(本省、都道府県労働局の一部)、国土交通省

Cランク:
内閣府(拉致問題担当相)、国家公安委員会、防衛省

Dランク(完全秘密で昔のまま):
内閣官房(官房長官)、宮内庁、法務省(地方検察庁、矯正管区)

ヒラの傍観長官の無能ぶりはさすが。首相会見で「国民の悲劇」とまでいわれてましたね。お見事。


【ご参考】

上杉隆さんの論考「オープン化した首相会見で、 あえて「質問」しなかった筆者の思い」 

(引用) そもそも記者会見のオープン化は、国民の知る権利や情報公開の見地から言っても、ジャーナリズム自身が追求すべきことである。それは先進国であろうが、独裁国家であろうが世界中で不断に行われているメディアの当然の仕事のひとつだ。

ところが日本の記者クラブメディアだけは逆なのだ。戦後65年一貫して自らの既得権益を守ることに汲々とし、同業者を排除し、世界中から批判を浴び続けているにもかかわらず、自らの都合のみでその不健全なシステムを維持してきた。

それはまさしく、「カルテル」(孫正義ソフトバンク社長)であり、「人権侵害」(日本弁護士連合会)であり、官僚と結託して国民を洗脳し続けていた「日本の恥」(米紙特派員)なのだ。