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2009-10-28

記者会見にネットユーザーが参入!

メディアのあり方に大きな影響を与える可能性があると期待される事態が出現したという意味で、大変興味深い記事を読んだのでご紹介しておきたい。

ネットユーザーが外務大臣に質問した「田中龍作ジャーナル」より引用


インターネットの動画ライブ中継画面にユーザーが書込みできる「双方向性」が売り物の『ニコニコ動画』。先月末から始まった外務省の記者会見オープン化以来、毎回大臣会見に出席しているが、27日の会見では岡田大臣にユーザーからの質問をぶつけた。

各省の大臣記者会見で視聴者からの質問が取り上げられるのは極めて異例だ。大メディアの記者たちで埋まる会見室は水を打ったように静まり返った。

約40分間続いた記者会見の終盤になって『ニコニコ動画』のディレクターが挙手し、外務省の三上正裕報道課長があてた。

質問に先立ちディレクターは「視聴者から電子メールで届いた質問を代読させて頂きます」とことわり、あくまでもユーザーからの質問であることを強調した。

質問:大臣は野党時代の早くから自らのサイトで動画配信をしてこられましたが、ニュース報道という点においてテレビとネットの大きな違いはどんな所にありますか?

大臣:私が(動画)配信をしてきたのは私の主張を多くの方に知って頂くために、私自身の考えが他の媒体を通すと「私の本意」とは違った伝えられ方をする。映像ですとそのまま伝わりますから有難い。政治家にとっては自分の考えをより広く発信するための良い手段だと考えている。~岡田大臣は時おり笑みを浮かべながら楽しそうに答えた。

『ニコニコ動画』は質問内容を決めるために、三者択一のアンケートを行った。1)「政治家と官僚の関係」、2)「ネットとテレビの関係」、3)「生活サイクルと健康維持」の3つからひとつを選んでもらった。回答は、1)が41.8%、2)が48.7%、3)が9.5%となり、「ネットとテレビの関係」を岡田大臣にぶつけることになった。

政府は国民のために行政を行っており、省の最高責任者である大臣は国民に向かって話しかける義務がある。大メディアの記者の浮世離れした質問は、国民のためになっているのだろうか。少なからず疑問である。

視聴者からの質問を大臣に問う『ニコニコ動画』の取組み。これまで大臣と国民との対話はタウンミーティングなど「特定少数」に限られていた。だが、インターネットは「不特定多数」の国民と大臣が会話できる可能性を秘めている。

(引用終了)

この記事を読んで思ったことは、いよいよネットメディアが記者会見に参入したことで、既存のメディア自体がネットを通じて国民から見られる存在となったということと(外務省はすでに大臣・副大臣の記者会見の録画をネットで配信しているが)、さらに、ネット・メディアである「ニコニコ動画」がそれを生中継することにより、ネットを通じてとはいえ記者会見の場で直接国民が大臣に質問をぶつけたという事実の重要性である。

これまで、記者会見がクローズされていたため、記者会見が政権側とメディアとの間に馴れ合いがあったとしても、それが国民の目に触れることはなかった。従って質疑の質も誰からもチェックされることはなかった。いわれているような「情報の垂れ流し」ということも検証できなかった。しかし、それが国民の目にさらされることになったことは重要だ。既存のメディアの姿勢そのものが問われる事態が出現したということである。

さらに、記者会見がネットで生中継されたことによって、ネットの双方向性を生かして国民のからの質問をぶつけるという試みを実行されたことである。直接国民が大臣に質問をしたということの意味は、既存のメディアと国民が対等な位置に立ったということでもある。さらに端的に言えば国民が既存メディアの競争相手となったのである。これは画期的である。

これが成熟していくと既存メディアの報道に質的な変化をもたらす可能性がある。ネット・メディアは速報性において既存のメディアを超えることは明白であるが、それ以上に既存のメディアが伝える情報の質が問われることが重要である。まずその質問の質が問われる。単なる情報の横流しならばその存在意義すら問われかねない。

その上で、既存のメディアには、プロとしての的確な情報の分析や論評が国民から求めらることになるであろう。調査報道への期待が高まることも予想される。また、そこにメディア同士の、あるいは記者同士のある種の競争状態が自ずと生じるかもしれない。「記者クラブ」的横並びは許されない。さらに、すでに生じていることではあるが、既存メディアはネット・メディアを無視できなくなる。ネット・メディアとの本格的な競争も覚悟しなければならない。いずれにしても、既存メディアが自らの「存在理由」を問う事態を避けることができなくなる。

以上のような事態がメディアの中に生じることは、国民にとってはより質の高いかつ多様な情報を取得できる可能性を意味するであろう。これは少なくとも日本の民主主義にとって誠に慶賀すべきことではなかろうか。

2009-10-15

画期的な東京新聞の社説「新聞週間/国民のため検証が任務」

今日(2009年10月15日)の東京新聞朝刊の「社説」を見て驚いた。


「新聞週間」と題する文章だが、「メディアとの関係で前政権との大きな違いは、各省事務次官の記者会見禁止とこれとは裏腹の首相会見や大臣会見の「完全オープン化」の原則だ。首相就任会見では完全開放の約束は守られなかったものの、岡田克也外相主催の外務省会見はフリーランスやネットメディアまで会見はすべてのメディアに開放され、完全自由化は今後、各省庁の大臣会見に広がっていく可能性がある。」とまで書いている。


「記者会見の完全開放」という問題を「社説」で取り上げること自体が「画期的」なことだ。それも「記者会見の完全開放」を「肯定」できることだとし、「むしろ多数の専門記者の参加こそ、質疑応答の多様化と充実をはかり、国民の注視に堪えられる会見にさせるとさえいえる。」とまで書き、さらに「新聞は国民のために存在する。・・・新聞の重大任務は記者クラブに安住することでなく、国民のための政策が遂行されているかの分析と検証にあるのは明らかだ。その任務が遂行できてこそ国民の新聞への信頼が生れると自覚したい。」と結論づけている。


いやぁ、東京新聞は偉い!新聞の原点にさかのぼって上記の主張を掲げたことに「一国民」として敬意を表する。堂々と新聞の「王道」をまい進してほしい。