2009-12-02

密約証言に思うこと

「過去の歴史を歪曲(わいきょく)するのは、国民のためにならない」。1日、沖縄返還の日米交渉を巡る密約の存在を初めて法廷の場で明言した元外務省アメリカ局長、吉野文六さん(91)は、これまでの国の姿勢を批判した。72年には、密約を報道し国家公務員法違反に問われた西山太吉・元毎日新聞記者(78)の刑事裁判で検察側証人として密約を否定した。それから37年。今度は民事訴訟で西山さん側の証人として出廷し、声を詰まらせながら再会を喜びあった。(略)西山さんの訴訟に出廷した理由について、「返還交渉の実情をなるべく真相に近い形で伝えたいと思った。最近、過去の真実を追究した報道や歴史家の努力はいいこと。それを続けることが日本の将来のため有益になると信じるようになった」と述べた。一方、西山さんは、別に記者会見し「法廷という厳正な場所でかつて偽証した本人が、『偽証しない』と宣誓して証言したのは、相当な覚悟がいることだったと思う。(密約文書への)サインを認め、局長室で交わしたことを認めただけで十分だと思う」と、感激した様子だった。(毎日新聞)

日本という国は、歴史に真正面から向き合う姿勢がなかった。その典型が戦争責任を自分の力で追及してこなかったことだろう。敗戦の前後、霞ヶ関や軍事施設などでは公文書を焼く煙が立ったという。証拠隠滅だ。それがその後の政治に大きく影響したことは言うまでもない。それが変ったという明瞭な兆候はないから今もないのだろう。だから「公文書」を完全に保管しておくという思想もない。米国のように機密事項であっても一定の期間が経過したら公開するという制度もない。

政治家や官僚の無責任性もそこから出てくるのだろう。特にその官僚が戦後一貫して「政治」をしてきたのだからたまったものではない。歴史に正対しないものは、未来を誤る。政権交代によって「情報公開」という面でもようやく光が見えてきたかなということだろう。

「情報公開」は権力をチェックするという意味を持つが、しかしそれ以外にもありとあらゆる手段でこれを実行しないといけない。日本という国は「権力のチェック」が甘い。国民に「お上意識」が残存しているからであろう。この思想の脆弱さをなんとかしないことには民主主義も絵に描いた餅である。今回の「事業仕分け」はその第一歩だった。特に司法官僚機構はまったく手付かずだ。「取調過程の完全可視化」はどうなったのか?千葉法相は何をしているのか?肝は「官僚に政治をさせない」ということに尽きる。特捜などに「政治」をさせてはならない。

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