2009-12-03

司法官僚機構の「民主化」は待ったなしだ

「神は細部に宿り給う」。ここ数日の司法関係の出来事で看過できないものがいくつかあった。いずれも「社会の常識」から遠い判決であり、逮捕だと思う。「裁判員制度」の導入目的に、司法へ「社会の常識」を反映させるということがなかったのか。それとも、そんなものはそもそも単なる「お題目」でしかなかったのか。

特に警察・検察の「憲法無視」ぶりは戦前の「特高」を思わせる。日本では権力を如何にチェックするかという思想が脆弱である。「お上意識」の残存なのであろう。権力の暴走を許すとどういうことになるかについては、戦前の「帝国憲法」下で身に沁みたのではなかったのか。それに加担しているのが例によってマスゴミである。官僚機構とマスゴミの癒着関係は度し難い。司法権力に対するチェックの役割はまったく果たしていない。逆に権力行使の道具化しているのだから救いようがない。だから、こと人権問題に限っても日本の実態は「世界の非常識」状態がいつまでも続いているのである。状況はとても先進国とは言えない。「開発独裁国家」とでも言うべき「人権三流国家」である。

「取調過程の全面可視化」すらまったく進んでいるようには見えない。千葉法務大臣は何をしているのか?既に司法官僚の掌の上に乗ってしまったのか?司法官僚機構の「民主化」は待ったなしだ。


一つが、政党のビラを配布するために東京葛飾区のマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた住職に対して、最高裁判所が被告弁護側の上告を棄却し、有罪が確定した「葛飾ビラ配り事件」。

「国際社会での『常識』が問われている」 葛飾ビラ配布弾圧事件 最高裁不当判決(大脇道場
「葛飾ビラ配布弾圧事件につき荒川庸生氏の無罪判決を求める決議」(自由法曹団)
政党ビラ配り有罪(中山研一の刑法学ブログ)
ビラ配布有罪 違和感が残る判決だ 毎日新聞・社説
ビラ配り有罪―合点いかぬ最高裁判決 朝日新聞・社説

国際人権(自由権)規約委員会の市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。)の実施状況に関する第5回日本政府報告書(2008年10月31日)に関しては、以下を参照してください。


日本の人権状況を国連が審査 規約委員 日本政府を痛烈に批判 (救援新聞2008年11月5日号)