2009-11-07

一身独立して一国独立する

鳩山政権は対米関係を主軸としながら「対等な日米関係」とアジアをより重視した「東アジア共同体構想」を掲げて登場した。しかし、いち早く中国や韓国との首脳会談を実現したが、「東アジア共同体構想」は今だしの感が強く、また対米関係においては「普天間基地移設」を巡ってオバマ大統領の訪日が間近に迫っているにも係らず、現状は解決の方向性すら決まらず迷走状態が続いている。政権交代が実現した今だからこそ、これからの外交関係をどうするか、再構築をはからなければならないと考える。

日本には外交的に次の三つの道があるように見える。

一つは、現状のまま「対米従属」外交を維持・強化していく道である。対米従属が強まれば強まる程、日本の外交的独立性は損なわれ、対中国や韓国、東南アジア諸国との関係においては孤立をより深めていくであろう。対アジア関係での孤立化は対米従属をより強化するという悪循環に陥る危険性が予想される。また、中国の経済的政治的な力が増大する中で米中関係が強化・進展することが確実であり、日本がその中でより対米従属性を強めざる得ず、経済的政治的に埋没し誰からも相手にされなくなる危険性もある。

二つは、安保体制を維持していくものの、対米関係により「対等な関係」を求めていこうという道である。そして同時に、対米関係の見直しを進めるのと平行して、対アジア関係を今まで以上に重視していこうとするのである。しかし、第一に、米国が日本の独自外交を快く思わないこと、第二に、米国抜きの対アジアの連携を米国が阻止しようと圧力を強めることが予想されること、第三に、アジア諸国、特に中国との関係においては、中国の経済的政治的な発言力の増大に伴って、常に対米関係を背景とせざるを得ず中途半端なものとなる可能性があり、米中関係の進展によっては逆に対米従属がより強まり、この場合にも米中関係の中に埋没してしまう危険性が予想される。

三つは、冷戦の終結の事実を踏まえ、日米安保体制を破棄し、政治的軍事的な独立を達成する。また中国の経済的政治的な存在感の増大という現実を見据えながら、中国や韓国、ロシアおよびアジア諸国との経済的政治的な友好関係をより強化し、同時に集団的安全保障体制を構築することを目指すという道である。北朝鮮の核問題や拉致問題を抱えており、必要以上に中国や北朝鮮の脅威を煽る米国の政治勢力や国内の親米勢力の扇動による国内世論の不安を背景に、対米従属的思考停止状態から脱することの困難が予想される。

以上のようにそれぞれの道にはそれぞれの困難が予想される。しかしその困難にも係らず、我々はいずれの道を追及すべきであろうか。


第一の道に希望はない。日本の対米従属は強化され、経済的政治的にも、さらに軍事的にも確実に独立性を失うことになろう。それでは第二の道どうか。一見独立性を獲得しているようには見えるが、結局のところ米国の手のひらの上で行動せざるを得ず、また中国も対米関係を重視し、思った成果を挙げられないと予想する。従って、困難ではあるが、第三の道以外に日本の追求すべき道はないと私は思う。そしてそれが対米関係においても、また対中関係におても日本の経済的政治的な独立性を確保することになると考える。

しかし、これには条件がある。日本の、否、日本人の「独立」への強い意志である。これがあるかどうか。ここにかかっている。

日本は少なくともヨーロッパ並みの「自立」した外交をすることは非常に難しいというのが私の現状認識である。というのも戦後一貫して冷戦構造を背景に「対米従属」が戦後システムの前提をなしてきたといえる。だから冷戦構造がとっくに終了したにもかかわらず、残念ながらそう簡単には抜け出せなくなってしまっているのである。さらに、この構造そのものが「既得権益」化してしまっているという事実がある。

先に小沢一郎が「日本の防衛には第七艦隊で充分」との趣旨の発言をしたときの「既得権益」勢力の大騒ぎ振りが思い出される。中国、北朝鮮の必要以上の脅威論そのものが「既得権益」勢力のお決まりの手口である。北朝鮮の「ミサイル」発射実験に対して、これ見よがしに何の役にもたたない「迎撃」ミサイル配備の大げさなパフォーマンスを思い出せば充分である。一方で自衛隊の米軍への従属化はどこでも戦争ができる体制へ向けて着々と進められている。扇動にのった国民の漠然とした不安がそれを後押ししている。精神的に独立していない子どもが親から見放される不安(=分離不安)を感じるといったレベルの話ではないか。もうこの辺で「敗戦」のトラウマ(=ギブ・ミィ・チョコレート!の世界)から開放されてもいいんじゃないかと思うのだが。

戦後ドイツとは対照的にアジアとの関係を真に友好的なものとすることに失敗した、というよりまったく努力をしてこなかった付けがいまの「対米従属」意識に強く反映してるのではないかと思う。見回すと周りに「友人」がいないという不安ではないか。この不安を克服する手段は真の「友人」を作る努力をする以外には道はない。この努力を全くしないで米国と「従属的」でない「対等な関係」を構築することはそもそもできっこない。

そこに立ちはだかるのはおそらく「歴史認識」なる古くて新しい問題である。民主党政権は自公政権よりも「自立」志向が強いことは事実である。民主党政権の基本は「任せる政治」から「引き受ける政治」へである。「歴史認識」問題では鳩山首相も韓国や中国訪問の際に「我々は過去を正面から見つめることが出来る」とし、未来に目を向けた新たな日韓・日中関係を築くことを表明した。しかし方向はそうだとしても国民の潜在的な不安に対しては慎重に対処せざるを得ないだろう。日本にとって拉致問題が喉に刺さった棘である。またいわゆる「北方領土」問題が日露関係にも相変わらず影響している。この二つの問題は、いつでも「日米安保体制維持・強化」勢力の格好の口実を提供するであろう。対中国・朝鮮半島、対ロシアに対する日本の独自外交への米国の牽制は陰日向の脅しも相変わらずである。民主党政権のこれからは外交にはさまざまな困難が予想される。

私の予想はかなり悲観的であるが、しかし希望がまったくないわけではない。その核心部分は、それが日本国民の意志一つにかかっているという事実である。要するに、国民の中に日本を独立した国家にしたいという意志があるかどうかが鍵だということだ。フィリピンや中南米諸国などのように。

福沢諭吉が百数十年前に言った「一身独立して一国独立する」(学問のすすめ)という命題は未だに達せられないまま、依然として我々の課題としてあるように思われる。

ご参考:自分の「歴史認識」を検証するために格好の材料がある。これを観ている「自分」を振り返るのも一興かと。

陸川監督の「南京!南京!」