「人びとが十石峠を越えたのは、明治十七年十一月七日、紅葉に新雪が美しい日のことである。秩父山塊の渓谷を舞台に蜂起し、大宮郷を「無政の郷」とし、屋久などの峠を越えて神流川筋を山中谷に至り、さらに信州佐久に進出した秩父困民党の農民たちがそれだ。
十一月一日、下吉田村椋神社境内に集結した困民党の勢力は三千人にも達したという。高利貸への負債据置・年賦返済、減租、さらには、貧民を助け家禄財産を平均する「世ならし」を目指した農民たちの直接行動であった。「おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ」という思想まで抱えこんだ農民蜂起は、竹槍、刀剣、猟銃をかまえて東京憲兵隊、東京鎮台兵、警官隊との交戦を重ね、十一月四日、農民軍の本陣は解体する。
しかし、本陣の幹部集団の崩壊をのりこえて、関東の平野部へ進出しようとした五、六百名の一隊と、残存の農民たちの組織を改めて信州へ進出した二百名ほどの一隊があった。前者は、四日夜、金屋で東京鎮台第三大隊と渡り合い、十名の戦死者を出して敗れる。後者は、四日夜、上吉田で隊をたて直し、五日には、日尾、藤倉から尾久峠を越えて上州に入り、青梨から神ヶ原(かがはら)に達し、六日には、自警団との交戦や焼打ち、オルグを重ねつつ神流川渓谷の山中村を白井まで進み、七日に十石峠を越えて信州に入る。八日、大日向村から東馬流(ひがしまながし)にまで進んでオルグ、打ちこわしを行なって四、五百人にふくらんだ農民軍は、翌九日未明、高崎鎮台兵の攻撃を受けて八ヶ岳山麓野辺山原で解体してしまう。
国会開設と自由民権を謳う自由党が解党式を挙げたのは、同年十月二十九日、秩父困民党の農民たちが蜂起する三日前のことであった。「まぼろしの革命党」のイデオロギーを農民の立場でとらえ直した、自由民権運動史上、「最後にして最高の形態」をもつ秩父事件がこれである。」(布川欣一著「峠の地蔵」・池内紀編集「ちいさな桃源郷」(幻戯書房)所収より)
ここで秩父事件について詳細に語ることはできないが、参考に、「困民党」が掲げた軍律および目標(「秩父事件研究顕彰協議会」ホームページより)と中国人民解放軍の前身である「八路軍」の有名な「三大紀律八項注意」(フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」より)を掲げておく。毛沢東による人民戦争理論(「点化した敵軍を、人民の海のなかに埋葬する」)に基づく軍隊の軍律が、その精神において「困民党」のそれと相似していることは興味深い。おそらくこれは単なる偶然ではないだろう。
★困民党軍律5ヶ条★
第1条.私ニ金円ヲ掠奪スル者ハ斬ニ処ス
第2条.女色ヲ侵ス者ハ斬
第3条.酒宴ヲナシタル者ハ斬
第4条.私ノ遺恨ヲ以テ放火ソノ他乱暴ヲナシタル者ハ斬
第5条.指揮官ノ命令ニ違反シ私ニ事ヲナシタル者ハ斬
★困民党の目標★
一.高利貸のため身代を傾ける者多しよって債主に迫り10カ年据置40カ年賦に延期を乞うこと
一.学校費を省く為3カ年間休校を県庁に迫ること
一.雑収税の減少を内務省に迫ること
一.村費の減少を村吏に迫ること
第1条.私ニ金円ヲ掠奪スル者ハ斬ニ処ス
第2条.女色ヲ侵ス者ハ斬
第3条.酒宴ヲナシタル者ハ斬
第4条.私ノ遺恨ヲ以テ放火ソノ他乱暴ヲナシタル者ハ斬
第5条.指揮官ノ命令ニ違反シ私ニ事ヲナシタル者ハ斬
★困民党の目標★
一.高利貸のため身代を傾ける者多しよって債主に迫り10カ年据置40カ年賦に延期を乞うこと
一.学校費を省く為3カ年間休校を県庁に迫ること
一.雑収税の減少を内務省に迫ること
一.村費の減少を村吏に迫ること
三大紀律:
一切行動聴指揮(一切、指揮に従って行動せよ);
不拿群衆一針一線(民衆の物は針1本、糸1筋も盗るな);
一切繳獲要帰公(獲得したものはすべて中央に提出せよ)。
八項注意:
説話和気(話し方は丁寧に);
買売公平(売買はごまかしなく);
借東西要還(借りたものは返せ);
損壊東西要賠償(壊したものは弁償しろ);
不打人罵人(人を罵るな);
不損壊荘稼(民衆の家や畑を荒らすな);
不調戯婦女(婦女をからかうな);
一切行動聴指揮(一切、指揮に従って行動せよ);
不拿群衆一針一線(民衆の物は針1本、糸1筋も盗るな);
一切繳獲要帰公(獲得したものはすべて中央に提出せよ)。
八項注意:
説話和気(話し方は丁寧に);
買売公平(売買はごまかしなく);
借東西要還(借りたものは返せ);
損壊東西要賠償(壊したものは弁償しろ);
不打人罵人(人を罵るな);
不損壊荘稼(民衆の家や畑を荒らすな);
不調戯婦女(婦女をからかうな);
不虐待俘虜(捕虜を虐待するな)。
田代栄助(総理)
井上傳蔵(会計長)
ここにも「忘れられた日本人」がいる。秩父困民党総裁、田代栄作(1834年(天保5年)~1885年(明治18年))、同会計長、井上傳蔵(1854年(安政元年)~1917年(大正7年))。明治維新以来初めての民意による政権交代が実現した今、こうした史実を振り返ることもムダではなかろう、と思う。
秩父事件研究顕彰協議会
秩父事件研究顕彰協議会編集「秩父事件―圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ」(新日本出版社)
秩父事件研究顕彰協議会編集「ガイドブック秩父事件」(新日本Guide Book)
井上幸治著「秩父事件―自由民権期の農民蜂起」(中公新書)
中澤市朗著「自由民権の民衆像」(新日本新書)秩父事件研究顕彰協議会編集「秩父事件―圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ」(新日本出版社)
秩父事件研究顕彰協議会編集「ガイドブック秩父事件」(新日本Guide Book)
浅見好夫著「秩父事件史」(言叢社)
井出孫六著「峠の廃道―秩父困民党紀行」(平凡社ライブラリー)
井出孫六著「秩父困民党群像」(新人物往来社)
池内紀編集「ちいさな桃源郷」(幻戯書房)