2009-10-26

荒木経惟という現象

もの思う秋。写真家、荒木経惟の「東京人生since1962」(basilico,2006)を再読した。荒木さんは、一貫して東京に寄り添うように、東京という「もの」と「こと」を写真に写し取ってきた。だから、題して「東京人生」という。



妻陽子さんとの「センチメンタルな旅」の始まりと終わり。人生は短く、哀しい。写真に荒木さんのコメントがついている。(以下、写真のコメントは荒木さん)



「1971年7月7日、陽子と結婚。「センチメンタルな旅」がこの日から始まった。」



「この写真好きだね、この陽子好きだね。はじめて撮った時「物思いに耽る表情が良い」と言ったらしい。」



「陽子とチロと私。幸福の構図。陽子は東京女子医大に入院することになった。」




「手指をにぎりしめると、にぎりかえしてきた。お互いにいつまでもはなさなかった。午前三時十五分、奇跡が起こった。陽子が目をパッとあけた。輝いた。私はベッドにあがって、何枚も撮った。1990年1月27日、妻陽子死去。享年44(満42歳)。」



「棺の中に楽しみにしていた「愛しのチロ」を入れて陽子を送った。」



「雪の日にチロがバルコニーに出て、はねた。「センチメンタルな旅・冬の旅」のラストシーン。」



「妻が逝って、私は空ばかり撮っていた。」



「陽子がいなくなって錆びたテーブル。バルコニーでチロとふたり。」(荒木さんのコメントはここまで)

日本の写真史における「巨匠」、荒木経惟。彼の写真には、例えば都市の情景であっても、あるいは緊縛された女を撮っても、いつも「滅び」や「死」の匂いが漂う。また、彼の写真は、被写体を通して彼の人生が重なって見える。だから題して「センチメンタルな旅」という。初期の写真から現在までそれは見事に一貫している。これは驚くべきことだと改めて感じる。

折りしも、NHK-BShiのプレミアム8「写狂人の旅~アラーキーと歩く4日間~」を観た。アラーキーも、もう69歳か。私が荒木さんに初めて出あったのが「わが愛、陽子」(朝日ソノラマ,1978)という写真集。



1978年発行、彼が38歳、私が25歳のとき。不思議な縁を感じる。それ以来30年の付き合い。これも凄い「こと」だ。私の人生の半分以上だ。「愛する人の死、父や母の死、陽子の死、これが自分を飛躍させる契機になってきた、進む道をはっきりさせてきた」と番組の中で語っていた。

陽子さんの死後、引きこもっていたアラーキー。「チロちゃんがね、朝バルコニーで跳ねるんだよ。勃起しろって、ね」(上記、雪のバルコニーの写真に対する番組でのコメント)。



陽子さんが生前、「センチメンタルな旅」の中で唯一好きだを言っていたという一枚。合掌。