2009-10-22

生きている問い

「イル・サンジェルマンの散歩道」より引用 2009. 10. 21


ギィ・モケの別れの手紙La lettre d'adieu de Guy Môquet

68年前の10月22日、ひとりの17歳の青年がレジスタンスに殉じ、その短い生涯を終えました。

鉄道員であり共産党の代議士であった父親が、1939年にアルジェリアの強制収容所に送られたとき、当時16歳であったギィ・モケは、共産党の青年組織に加わりました。1年後パリで非合法のビラを撒いていたときに逮捕され、ロワール・アキテーヌ県にあるシャトーブリアンの収容所に送られました。

1941年10月22日ギィ・モケは、ドイツ軍将校の殺害の報復として、収容所に入れられていた他の26人とともに銃殺されました。死を前にして、一通の手紙を両親に送りました。今日彼の名前は、パリの地下鉄の駅そして数多くの街路に見られます。

僕の大切なお母さん、
僕の大好きな、可愛い弟、
僕の愛するお父さん、

僕はこれから死ぬのです!僕があなたたちに、なかでもお母さん、あなたにお願いがあります。それは毅然としていてほしいということです。僕は毅然としています。そして僕の前に殺された人たちと同じくらい毅然としていたいのです。もちろん、僕は生きたかった。でも僕が心から願うことは、僕の死が何かに役立ってほしいということです。僕にはジャンに接吻する時間がありません。僕のふたりの弟、ロジェとリノには接吻しました。本当のことを言えば、それができないのです。ああ!僕の身の回りのものすべてが、お母さんに送られることを望みます。それはセルジュに役立つでしょうから。僕はセルジュが、ある日それを持つことを誇りに思うことを願っています。お父さん、あなたに。もし僕がお母さんを悲しませたと同じくらいお父さんを悲しませたとしたら、僕は最後にもう一度あなたに別れの挨拶をします。あなたが僕に指し示した道を、僕は最善を尽くして歩いてきたということをわかってください。
最後の別れを、僕のすべての友達に、僕が大好きな弟に。(立派な)男になるように、しっかり勉強をするように。17年と半年、僕の人生は短かった。 僕は叔父さん、ミッシェルと一緒に死んでいく。お母さん、僕があなたに望むのは、僕があなたに約束して欲しいのは、気をしっかりと持つこと、そして悲しみをのりこえることです。

もうこれ以上書けません。僕はあなたたちみんなから、おかあさん、あなたから、セルジュから、お父さんから、僕の子どもの心にあるすべてを込めてあなたたちに接吻をしながら、僕は去って行きます。勇気を出して!

あなたたちの愛した、あなたたちのギィより。
ギィ

最後に。あなたたちすべてが、わたしたちに、これから死んで行く27人にふさわしい存在であり続けてください!

(引用終了)

加藤周一は戦後すぐに「新しき星菫派に就いて」を書き、数年後に「抵抗の詩人たち」を書いた。戦時中に大日本帝国では「抵抗運動」はほとんどなく、フランス共和国では執拗な「抵抗運動」が行なわれた。この彼我の差は何か?現在もその問いは生きつづけている。