現代の宿痾
「ひとりね」があらためて私をおどろかすのは、・・その著者の精神の成熟の度合いである。その趣味、その文章、その人情の察し振りに、今日の青年男女の稚気をみること甚だ少ない。酸いも甘いもかみわけた思いが、まさに一八世紀の日本の武士社会の青春の書であった。早熟は必ずしもその文化の徳ではない、という人があるだろう。しかし私はそう思わない。三ツ児の魂百まで、いや、歳ニ〇にして稚気を脱しなければ、いつまで経っても、埒があかぬようである。(加藤周一著「青春または『ひとりね』の事」より)
加藤さんに同意する。少なくとも十八世紀の江戸には、「大人育成システム」が正常に作動していたらしい。それは現代との著しい違いだろう。「何言っちゃってんの。そんなに人生、甘くないでしょ」と石川代議士の女性秘書を脅したと報道された検事・民野某の行動に観察される、「お受験」勘違いエリート官僚に典型的な「人格未成熟」は、現代の「宿痾」といえるかもしれない。