2010-08-20

フランス映画に見る女と男

往年のフランス映画を2本観た。いずれも主演はジャンポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo、1933年生まれ)。

ピーター・ブルック監督、ジャンヌ・モロー共演、マルグリット・デュラス原作の「雨のしのび逢いModerato cantabile(音楽用語=中くらいの速さで歌うように)」(1960)、もう一本が、ジャン・ベッケル監督「勝負(かた)をつけろUn nommé La Rocca(ロッカと呼ばれる男)」(1961)。

「雨のしのび逢い」は、偽善的なブルジョア社会と夫に嫌悪感を募らせ、そこから脱出したいと願望する人妻(ジャンヌ・モローJeanne Moreau、1928年生まれ)と閉塞する現状から脱出したいと願望する男(ジャンポール・ベルモンド)の悲恋物語。最後は情夫に捨てられ人妻の精神的な死で幕を閉じる悲劇。



ピーター・ブルック(Peter Brook、1925年生まれ)は、RSC(Royal Shakespeare Company)で独創的な演出で夙に知られる演出家。冒頭で起こる若い男が人妻を銃で撃ち殺す事件が二人の運命を暗示する筋書きの上手さ、最後の場面、絶望の声を上げくず折れる彼女を夫の乗る車のヘッド・ライトが無慈悲にも照らし出す演出に息をのんだ。

ジャンヌ・モローはまさに女ざかり。若いベルモンドとの道ならぬ恋に陥っていく人妻の戸惑いと情念の激しさを好演。実際の年齢からも5歳年上。官能的な女の色香を存分に感じさせてくれる。この映画はジャンヌ・モローを観るためにある。カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得している。


「勝負(かた)をつけろ」は、無実の罪で服役する親友を救うためにすべてを犠牲にし献身する男の友情、その友情に応えよとして男の犯す愚かな行為によって最愛の人を死に至らしめ、彼の行為が全て無駄になるという結末で終わる悲劇。








これは、ベルモンドが演じる、フランス人が理想とする男っぷりのよさを観るための映画。友情に篤い一匹狼。目的のためにはあらゆる試練を乗り越える頑強な肉体と精神を持っている。あくまで行動の人である。外見は冷静そのものだが、内面は熱い。


日本の題名のセンスの無さにあきれるが、映画はいかにもフランス映画という感じ。まず社会の規範や秩序よりも個人を優先するフランス独特の個人主義を強く感じる点で共通。また曖昧さを廃する硬質な論理構成もフランス映画らしい。

演出においても、感情表現や大げさな行動は抑制されあくまで淡々と行動と言葉が積み重ねられていく。その結果対象との適切な距離感が保たれ、過度の感情移入が避けられる。しかしその効果として逆に観終わった後に強い余韻が観客の心に残るという手法はさすが。

この映画文法にジャンポール・ベルモンドが正に適役。最初から最後まで、感情を制御しポーカー・フェースで通している。無駄のない行動と寡黙だが断固とした言葉の人に徹している。何の苦も無くやすやすと既成の秩序からはみ出す自由を体現している。そこにはいささかも「甘さ」がない。特に後者でみられる演技から自然と滲み出る意図せぬ滑稽味・飄逸さも彼の魅力の一つだろう。

要するに、ジャンヌ・モローがフランス人好みの「女の魅力」を発散させているとすれば、ジャンポール・ベルモンドは「男の魅力」満載なのだ。

ジャン-リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれÀ bout de souffle」(1960)の主人公にも通じる。これがフランスにおける彼の人気の秘密であろう。アラン・ドロンの「甘さ」は、外国人には、特に日本人にはたまらないらしいが、フランス人の好みではないらしい。