2010-08-19

死んだ女の子

若松孝二監督「キャタピラーCaterpillar」。2010年ベルリン国際映画祭コンペティション部門/寺島しのぶが最優秀女優賞受賞した作品。



原作は江戸川乱歩作「芋虫」だろう。「だろう」というのは、どうした訳か、公式ホームページを見てもそのことに触れられていないのである。だから、日本の題名が「キャタピラー」とされているのも、「芋虫」であることを意図的に隠ぺいするためではと勘ぐりたくなる。とすると原作への冒涜ではないだろうか、と突っ込んでみる。因みに、丸尾末広の作画で劇画にもなっている。



イントロダクション・あらすじ

これは、かつて軍国主義に陥ったこの国へ刃を向けつつも、ありきたりな反戦映画に終始することのない問題作だ。犠牲となった男女の哀しくも酷たらしい営みを通し、あの時代の総括を試みる過激でいびつな性愛のスペクタクルである。中国戦線へ出征し正義の名の下に強姦と虐殺の限りを尽くしてきた夫が、妻の元へ無残な姿で帰還する。四肢を失い顔面は焼け爛れ「軍神」として崇められる夫。その視座から執拗なまでに映し出されるのは、勲章と勲功を称える記事、そして天皇皇后の御真影。名誉、煽動メディア、国家権力に翻弄され、“食べては求める”だけの肉の塊と化した夫への屈折した愛憎のプロセスを、寺島しのぶは見事に体現してみせる。異形への嫌悪は徐々に軍神の貞淑な妻としての誇りに変容するが、やがて偽善と欺瞞に満ちた戦争のシンボルとしての夫に怒りをぶちまけ、関係性は反転して妻は夫を性の道具として扱うまでになる。
エロスとイデオロギーをテーマに描き続ける若松孝二の集大成であることは言うまでもない。…食欲と性欲だけを残し芋虫のようにのたうち回るグロテスクな姿は、だらだらと米国に依存した平和のなか経済を拠り所に生き長らえる我々と何が違うのか。「戦後」は未だ終わっておらず、愚行は何度でも繰り返されることを、若松は切実な思いで訴えかけている。(清水節)

しかし、ここで取り上げたいのは、そのことではない。映画「キャタピラー」の主題歌、「死んだ女の子」。昔、高石ともやが歌っていたものを、元ちとせがカヴァーしている(原爆ドームを背景に、坂本龍一がピアノで伴奏する映像がyoutubeで見られる)。ヒロシマで死んだ女の子の立場から「原爆」を歌った歌。哀切(故に、映画とちょっとそぐわない気がした)。





「死んだ女の子」

作詞:ナジム・ヒクメット、訳詞:中本信幸・服部伸六、作曲:外山雄三、歌手:元ちとせ

開けてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸
あたしはたたくの
こわがらないで みえないあたしを
だれにもみえない 死んだ女の子

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 十年まえに
あの時も七つ いまでも七つ
死んだ子は決して 大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしの瞳を
あたしの体は 一つかみの灰
冷たい風に さらわれていった灰

あなたにお願いだけど あたしは
パンもお米も なにもいらないの
甘いあめ玉も しゃぶれないの
紙切れみたいに 燃えたあたしは

戸をたたくのは あたし あたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子供を やかないように
甘いあめ玉がしゃぶれるように
炎が子供を やかないように
甘いあめ玉がしゃぶれるように


実は、もう一つヴァージョンがある。

「死んだ女の子」

作詞:ナジム・ヒクメット、訳詞:飯塚広、作曲:木下航二、歌手:小夏鮎



1.
とびらをたたくのはあたし
あなたの胸(むね)にひびくでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの

2.
十年前の夏の朝
あたしはヒロシマで死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

3.
あたしの髪(かみ)に火がついて
目と手がやけてしまったの
あたしは冷い灰になり
風で遠くへとびちった

4.
あたしは何にもいらないの
誰にも抱いてもらえないの
紙切れのようにもえた子は
おいしいお菓子も食べられない

5.
とびらをたたくのはあたし
みんなが笑って暮せるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい


詩の作者であるナジム・ヒクメットは、トルコの抵抗詩人である。詩にあるように、原爆投下から10年経過した1955年頃に作られたのであろう。年譜によるとその頃、トルコの弾圧を逃れてモスクワにいたようだ。

カバー写真


死んだ少女
発行所 国文社

概 要
ヒクメットは1902年トルコのサロニカに生まれた。当時のトルコではヨーロッパ強国の利害関係が交錯しており、莫大な負債と不平等条約によってしばられていた。こうした政治的条件の中で、民族解放戦争が起こり、トルコの進歩的文学運動が生まれた。ヒクメットはその革命文学の旗手、指導者であった。彼の詩は終始闘いの中で書かれ、闘いを訴え、闘いを支えてきた。と同時にしいたげられる者への心からの関心と労り、闘う者への賞賛と誇りをこめてうたわれる。ヒクメットの受けた刑は判決にして50年、獄中生活は17年の長きにわたるが、彼の詩には常に明るい未来への期待と確信がうかがわれる。「死んだ少女」「雲が人間を殺さないように」「日本の漁夫」は死の灰をテーマとした三部作をなしており、わけてもヒロシマをうたった「死んだ少女」は広く各国語に訳され、原水爆禁止運動の発展に大きく寄与したといえよう。


原詩でも歌われている。ヒクメットの肉声朗読とトルコの作曲家・歌手のズルフ・リバネリOmer Zulfu Livaneliが作曲したものを、ジョン・バエズJoan Baezが歌っている。




Kiz Cocugu 原詩        Little Girl 直訳(Engin Gunduz)

Kapilari calan benim        It's me who knocks 
kapilari birer birer.       the doors one by one. 
Gozunuze gorunemem      You can't see me 
goze gorunmez oluler.    --the deads are invisible. 

Hirosima'da oleli        It has been around ten years 
oluyor bir on yil kadar.    since I've dead in Hiroshima. 
Yedi yasinda bir kizim,    I'm seven years old 
buyumez olu cocuklar.    --dead children do not grow. 

Saclarim tutustu once,    First my hair caught fire, 
gozlerim yandi kavruldu.    my eyes burnt. 
Bir avuc kul oluverdim,    I've turned into a handful of ash, 
kulum havaya savruldu.    and that was scattered into the air. 

Benim sizden kendim icin   I don't ask you for anything 
hicbir sey istedigim yok.    for myself. 
Seker bile yiyemez ki      A child who burns like a piece of paper 
kagit gibi yanan cocuk.     cannot eat even candy, anyway. 

Caliyorum kapinizi        I knock your door, 
teyze, amca, bir imza ver.    dear lady, dear sir, give me your signature 
Cocuklar oldurulmesin     so that children won't get killed, 
seker de yiyebilsinler.      so that they can eat candy.

リバネリ自身が歌っている。


HiroshimaとNagasakiが世界に与えた衝撃を改めて思う。ややもすると内向きになりがちな私のこころを世界に広げてくれた。この詩と歌に感謝している。