2010-03-28

ラジオの時代が復活か?

既存メディア、特にTVと新聞の体たらくは最悪。そんな時に朗報。


4月5日の週から、平日(月から金)午後10:00からTBSラジオで「dig」という番組がスタートする。ニュースを深堀する企画らしい。特に火曜日のパーソナリティーのビデオ・ニュースをやってる神保哲生さんが期待できる。
http://www.tbsradio.jp/dig/index.html


ビデオ・ニュースVideonews.comはネットで有料番組を配信している会社。非常に質の高い番組で、一般のカスゴミが絶対報じない情報を提供してくれるので重宝している。だから、わたしが唯一お金(月500円)を払って見ているサイト。


ラジオが聴けるなら、無料だし、試しに視聴してみることをおすすめする。完全に終わってる、お馬鹿TV番組とは、全然違う情報を得られる可能性が大きい。注目だ。


これからはラジオの時代がまた来るかも知れない。実は、今までその打ち合わせの様子をネットでLive配信しているのを視聴していたところ。実際にも、番組と並行して、ネットで画像と音声を配信する予定だとか。ラジオとネットのコラボ!画期的なことが起きる予感がした次第。


因みに、東京近辺では、ラジオは既にネットで同時配信しているから、いわゆるラジオ受信機はいらない。PCさえあればラジオが聴ける世の中になっている。電波に比較すればネット経由の音質は比べものにならないくらい抜群にいい!新しいメディアの試みに大いに期待したい。 http://radiko.jp/ (番組のTwitterのアカウント:dig954、ハッシュタグ:(半角スペース) #dig954


ご参考:文化系トークラジオ Life 『ライブメディアの現在』 これはメッチャ面白い!



2010-03-19

瀕死のマスメディアについて

瀕死のマスメディアについての興味深い番組が放送される。

「放送記念日特集・激震マスメディア~テレビ・新聞の未来~」総合テレビ・2010年3月22日(月)午後10時00分~11時28分

中でも、ITジャーナリスト・佐々木俊尚さんの発言に注目だ。「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書)、「マスコミは、もはや政治を語れない・徹底検証:「民主党政権」で勃興する「ネット論壇」」(現代プレミアブック)の著者。如何に「マスメディア」の危機感が強烈かがこの番組自体が証明している気がするね。意見を募集しているので、さんざっぱらNHKを含めた「カスゴミ」批判をしておいた。ネット上でも話題になっていて、こぞって意見を表明しようと呼びかけがおこなわれている。どれだけ取り上げられるかでNHKそのものの「偏向度」も測れるという趣向。出演者の肩書にも注目。既存メディアの既得権益死守的な発言が聴けるかもしれない。現在「ゴミ賣」が熱を上げている「ネット」への「ネガキャン」が聴けるかも。これまた興味深い。

【ご参考】
この程度の認識、お笑い種の「ネガキャン」記事。まるで権威づらしたよぼよぼ爺さんが時代遅れな御託を得々と並べている滑稽な風景。対象がネットにアクセスできない人びとであることが一目瞭然。「偏向記事」の典型として「魚拓」する。

[ツイッター界、ニセ首相騒動も…認証追いつかず](2010年3月18日14時43分・ゴミ賣新聞)
140字以内の短い「つぶやき」をインターネットで世界中に送れる「ツイッター」。日本でも470万人以上が登録するなど利用者が急増中だ。
2日間に70件つぶやいた原口総務相など、ツイッターを駆使する政治家も登場しているが、一方で、ニセ者騒動も起きており、本人認証をどうするかが課題となっている。
昨年12月25日、ツイッター上に現れた「nihonwokaeyou(日本を変えよう)」という登録名(アカウント)の「つぶやき」が話題になった。鳩山首相の顔写真を使い、「鳩山です。twitterを始めました」「これから会見です」などと書き込み、最大で約1万人の閲覧者(フォロワー)を集めた。ところが、これがまったくのニセ者。内閣府は米ツイッター社と共同で日本語版を運営するデジタルガレージ社(東京)に要請し、登録を削除したが、2日間に計約30件の発言が繰り返された。
内容はたわいもないことばかりだったが、内閣府の担当者は「(普天間基地移設問題など、政局にかかわるような)とんでもないことを書かれたら取り返しがつかなかった」と話した。
◆課題は本人認証◆
大学のニセモノも現れた。東大や大阪大、早大など少なくとも5大学が、大学を装う登録について「一切関係ない」と公式サイトで表明している。「ニセ早大」の場合、金もうけに使われる「アフィリエイトサイト」に誘導する悪質なものだった。
こうしたトラブルについて、米ツイッター社は件数を明かしていないが、なりすましの恐れがある有名人について本人の認証制度を設けている。本名とメールアドレス、公式サイト、登録名(アカウント)などをサイト上から送信し、認められれば画面上に「認証済みアカウント」と表示される。ただ、手続きが追いつかないのか、「数千単位の申し込みが積み残しになっている」状態だ。
約3万人のフォロワーがいる河野太郎衆院議員(自民)も今月6日、認証を断られた。河野議員は「公式ブログに登録名を記しているから、偽者と思われる心配はないとは思う」と語りながらも、ツイッター上で不服そうにぼやいていた。
認証制度を複雑にするのが、日本のデジタル社の子会社が別の案内サイトだけで示す「ツイナビ公認」。同社が面会や電話で確認した有名人や企業などの計約2000件の登録を公認するが、「米ツイッター社の本人認証とは別」と言う。
2月末のチリ地震の際、津波情報など約70件をつぶやいた原口総務相の場合、認証も公認も受けていない。原口総務相は本人確認について「なかなか難しい」としながらも、「3か月ぐらい続けており、文章の息づかいなどで、違う(人物)とはなかなか思いにくい」との見解を示した。
◆なりすまし防止策必要◆
ツイッターに詳しいジャーナリストの武田徹さんは、原口総務相のツイッター上の発言を元に、総務省課長補佐が民放各社に取材手法の照会をした例などを挙げ、「ツイッターでも、閣僚などであれば影響力は大きい。もっと慎重な運用をすべきで、同時に悪質ななりすましは突き止める仕組みが必要だろう」と指摘している。
◆ツイッター=2006年5月に米国でスタートしたミニブログサービスで、日本語版は08年4月に運営を開始した。誰でも無料で使え、重複しなければ好きな登録名(アカウント)で登録できる。特定の人の「つぶやき」を読むために事前登録する閲覧者は「フォロワー」と呼ばれ、自動的に受信できる。有名人は多数のフォロワーを抱え、一斉に発信できる。ネット調査会社「ネットレイティングス」(東京)によると、国内の利用者数は約470万人(1月現在、パソコンのみ)。


2010-03-18

ある独白

天皇制もそろそろ考えた方がいいかも。社会学者の宮台真司氏などの「保守主義」者は「天皇」にぞっこんですが。いつも卓見に感心することの多い御仁だけに、その点で加藤氏や私、あなたと意見を異にしているようです。「小」天皇制が社会の隅々にまで浸透しているのがシステムとしての「天皇制」の特徴ですね。勘違い「天皇」がゴマンといる社会に住んでいるわけです。例えば、○○学会など。つまらん偽「権威」が「進歩」を遅らせている。その面では、米国はクリアー。実力があればまっとうな「権威」になれる。逆に、「定年」もないわけです。その点をどう考えているのかね。

今面白い本を読んでいる。坂野潤治・大野健一著「明治維新1958-1981」(講談社現代新書2031)。本論とは余り関係ないけど、日本はかつて「経済一流、政治三流」と言われた、今日の日本は「経済二流、政治二流」になった、と。なるほど、経済は中国や新興国にいずれ追い抜かれる運命か、また、曲りなりに「政権交代」を果たしたから、まあ、一流とまではいかないが、「二流」には格上げしても、といった気分なのだろうね。政治が「三流」のまま、経済だけ「一流」なんておめでたい話はどこにもないわなぁ。ちょっとは政治がましにならんと、経済も沈没するっていう切羽詰った危機感からだろう。問題は、間に合うかどうか、だけどね。スピード感の問題は大きい。政治主導を確実にしておかないと、「悪徳ペンタゴン」の「反革命」が改革のスピードが致命的な遅れにしてしまうことが心配される。温暖化対策=新たな経済構造の創出もそう、官僚機構の改革による地域主権への移行もそう。「特高」くんだりが、国民に選挙された「国会議員」より「強力な権限」を持っていることの民主主義体制としての「矛盾」が露になったわけでしょう。方向としては逆戻りは不可能だろう、しかし、なんといってもスピードの問題が大きい。そこが肝心なところだね。

スピード感の問題をいったけど、例えば明治革命でさえ、変革の少なくともその前提条件が揃うのに、前記の書物によると、権力移行=維新(1967)から少なくとも14,5年掛かっている。いくら世の中の進展が早いといっても、半年やそこらでできるわけがない、というもの現実的な見方だろうなぁ。まぁ後三年で目鼻をつける気でいればいいんとちゃうか。その間に「反革命勢力」もどっかにいっちゃってるだろうぜ。手始めに「自滅党」が木っ端微塵に分裂しそうだしね。後に残るのは、弱小政党の有象無象だろう。ゆっくり料理するさね。民主党内のお馬鹿=抵抗勢力=無能野郎もあぶり出されるだろうしね。

小沢を起訴出来なかったのが相当悔しいらしく、相も変らず小沢憎しの報道である。そうですね。カスゴミは「悪徳ペンタゴン」の一角。それも先は見えている。政権交代もあるが、ネットの大波は既存のメディアを直撃している。ラジオは完全に焼け野原、完全に舵をきった。ネット同時配信に踏み切った。番組内容も、検察批判はするは、記者クラブ問題を取り上げるは、正常化にまっしぐらって感じ。遅れてるんのが大新聞と地上波放送。これも時間の問題。最後の悪あがきをしている。ミノもギャラ下げられてショックだとか。それからBS,CS放送がこれまた必死。例の三井環さんをゲストに呼んで話をさせたりしている。おバカは、大新聞と地上波連中。要するにCIA御用達連中だわな。包囲網ができつつあるな。先の三井さんの番組なんか、ネットで配信されてるぐらい。また、視聴者からのTV局への抗議やスポンサーへの抗議がボディーブローのように効いてくるだろう。新聞解約、TV広告会社への不買運動がネット上で展開されだしているのも面白い動き。広告会社もいつまでネット世論を敵にまわせるかかどうかね。興味深い問題だね。この連中、へたに「不動産などの資産」なんかをもっているのが災いして自己変革が阻害されているらしい。それだけ最後のダメージが大きくなるって寸法だわ。お気の毒なこった。これがわたしの客観情勢分析。

それから、そうそう、さっきの「明治維新」に面白い記事が載っている。明治革命を成り立たせた前提条件としての「江戸」文明の近代的要素はもちろんだけど、しかし、その一つの江戸期の商業資本で幕末・明治に生き残った「サバイバル率」が面白い。1849年当時の「資産家リスト」231家の内、幕末の1864年では、サバイバル率44%。ところが、1888年(明治21年)には、15%!1902年(明治35年)には、何と9%だってさ。それだけ産業の新陳代謝が激しかったわけだ。それを今と比較するのも一興かと。既存の産業に投資しても新興国に追いつき追い越されるに決まってる。これからの産業に投資しないとどうしよもない。その大きな一つが「環境関連産業」だし、「福祉関連産業」だろう。さらに、インフラとしての「ネット」社会の拡充だろう。「Twitter」をやるな!なんて言ってる「ママチャリ谷垣」やゴミ売、日テレ、環境政策への抵抗勢力電事連や大企業労組に未来はない!

「明治維新」読了。つくづく幕末の幕府政権の体たらくは「自滅党」の有様に酷似している。さらに驚くのは、「藩」と「藩校や寺子屋」の人材育成能力の高さ!藩校には士族以外からも優秀な学生を受け入れていたという。平等な人材発掘、育成の思想があるなぁ。この本では「インキュベーター incubator 孵化(ふか)器、養育器、培養器」と言っている。むしろ現代の方が、教育面の格差が広がり、人材発掘・育成機能が劣化しているのでは。民主党政権がこれを是正しようとしているのは、正しい。因みに、明治初期の小学校は、藩校や寺子屋をそのまま当てたらしい。さらに、民間の情報ネットワーク(=風説留ふうせつどめ)の凄さ!今でいう「ネット」だよ、まさに。歴史に学ぶべし、だね。


2010-03-15

ニコラ・ド・スタールまたは夏のかたみ

ド・スタールのような壁紙があってもいいと思うんです。ひとつ描いてみてくれませんか。
それが五十嵐と仕事上で交わした最後の言葉であった。
寂しすぎますよ、と私は答えた。
いや、寂しい人は寂しい絵を見て、そこに自分の心を見て癒されるんです。寂しい人が自分の心を隠すために、にぎやかな絵を飾ったりするのはだめですよ。逆に寂しくなるばっかりですから。
そうかも知れないなと思った。(藤原新也著「夏のかたみ/コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」より)

ニコラ・ド・スタールNocolas de Staël(January 5, 1914, Saint Petersburg – March 16, 1955, Antibes, French nationality, of Russian origin)という画家を上の文章で始めて知った。

ド・スタールの描く絵は明るく澄みわたっていたが、いつもその明るさの背後にはしめつけられるような寂寥感が漂っていた。そしてそれらの絵が予告していたかのように、彼は若くして自ら命を断つ。(同上)




いつの日か、ド・スタールの実物をこの眼で見てみたい。





























2010-03-14

ある晴れた日に

(加藤周一著「ある晴れた日に」(岩波現代文庫)には)反戦的な思想を持った、重い結核を患った画家が登場します。この画家は、戦争が終わった時に、天皇制というものをぶっ壊さなければだめだとはっきり口にする人間として描かれています。この画家が言うには、自分の妹は特高警察につかまって、他人には言えないような女としてのひどい拷問を受け、獄中で死んだ。父親は憲兵につきまとわれて、商売がいかなくなって自殺した。そして、この画家は「やつらをいま倒さなければ、やつらはまた武装するだろう」と言うのです。(沢地久枝「加藤周一のこころを継ぐために」P.34)

そのとおり「特高」は生き残り、今も公然と「拷問」を行っていることが明らかになっている。「戦後」に「戦前」はまんまと生き残り、また新たな「戦前」を始めようとしている。